有田焼についてAbout Arita
有田焼の歴史History of Arita
有田のやきものの歴史は1616年、朝鮮半島から帰化した陶工李参平が有田・泉山の白磁鉱を発見し、白川の天狗谷において、日本国内で初めて白磁器焼成に成功したことにより始まったと云われています。
現在、一般的に有田焼と称されるものは三つの系譜に分類されます。古伊万里様式、柿右衛門様式、そして鍋島様式です。
江戸時代に盛んに輸出された絢爛豪華な作品(古伊万里様式)と濁し手と称する柿右衛門様式は、オランダ東インド会社によって輸出された所以で、これらは伊万里、または古伊万里と呼ばれます。
鍋島様式は、佐賀藩直営の藩窯で徳川幕府や諸大名の進物品として焼かれ、輸出されていないために、古伊万里とは別に分類されています。
現在の有田焼は、その三つの様式をベースにしたものづくり(トラディション)と、それに左右されない全く新しい発想(イノベーション)で歩みつづけています。